腑に落ちないってなんなん?君ブロ復活か?!の巻
例のフィクション小説の筆が全然進んでいません。
毎日毎日ブログを書いていると、これ以上、言葉を繋ぐことはなかなかヘビーでございます。
と、思っておりましたが、どうも違うようです。
そうです。
思い出しました。
私のあのわけの分からんフィクション小説は、フツフツと沸き起こる、クソ腹立つなっ!という感情が原動力となっているのです。
昨日は久しぶりに立腹いたしました。
詳細は省きます。
よくよく思い起こせば攻められていることが矛盾だらけです。
こちらに向けられた文言、そっくりそのまま熨斗をつけてお返ししたいものです。
いっとき、流行った「倍返し」でいてこましたいと考える所存でございます。
ということが起こりました。
キーワードは「腑に落ちない」「腑に落ちる」です。
腑に落ちないとは
納得がいかない。合点がいかない。腑に落ちるとは
納得がいく。合点がいく。腑とは
はらわた。内臓。臓腑。「胃の腑」「腑分け」
心。心根。性根。
私はどうも「腑に落ちない」と言われると、こめかみがプチっとなるようです。
昨日、そのことを自覚しました。
私に向かって「腑に落ちない」は発しないで欲しいものです。
そして、私はいろいろ「腑に落ちる」ことを耳にしました。
ほんまもんの悪人になるにはそれ相応のスキルが必要です。
そんなスキルもないのに調子こいて悪さをすると、あちらこちらから綻び始めます。
口車に乗せられて悪さに便乗するのにもスキルが必要です。
そんなスキルを持ち合わせていないと墓穴を掘ることになります。
昨日はいわゆる、「何、墓穴、掘ってんの?」と言う事案でございました。
損得で動く人間より損得で動かない人間は失うものを気にする必要がございません。
怖いものは何一つありません。
私が最も恐れているのはお金を失うことより信頼を失うことです。
その点では、一時暴落させられた弊社の信頼を回復することが私の大きな課題でした。
その課題はクリア出来たと思っています。
それはひとえに弊社の技術力と私のおかげです。
自負しておきます。
まっ、何より弊社の信頼を貶める腐ったミカンを捨てたのが大きかったでしょう。
今は昔、金八先生の名セリフに腐ったミカン云々がございました。
腐ったミカンひとつ混ざるだけで、全部腐るというヤツです。
ちなみに、最初にこのクソの役にも立たない腐ったミカンの破棄を提案したのは私です。
弊社において決断力があるのは私です。
決断するということは、そこに責任が伴います。
また誰か彼かに嫌われるのを覚悟しないといけません。
営業もどきとして外に出て実感したのは、やはり今なお男社会やということです。
胡散臭いおっさんは胡散臭いおっさんとつるんでいます。
大して仕事もでけへんのにやたら偉そうです。
昨日もそんな目に合ったわけですね。
私は、ここだけの話、心の奥底では子どももよう産まんのに偉そうにするなよ、と思っています。
そんなことはおくびにも出しませんが。
怒り心頭の文言を連ねる記事を会社のブログに書いて鬱憤を晴らすような子どもじみたことはできません。
そんな取締役のいてる会社ってどうなんですか?となります。
そんなことは密かに運営しているブログでボロクソ書きます。
しかしながら、ここにも何らかを示したいという、私の顕示欲です。
困ったものです。
アウトプットは大事ですからね。
馬詰でした。