みんなと同じようにはできない。
高木です。おはようございます。
「なんで、みんなと同じようにできないの?」と子供のころはよく叱られました。
子供にしてみれば、「なぜ、みんなと同じようにしなければならないのか?」、そして「具体的にどうすれば、みんなと同じようになるのか?」を示さずに叱られてもどうしようもありません。
それは大人になってからも大して変わっていないのですけど。
こういう感じで、私は日頃からなかなか大変です。
世の中には、労せずして周囲と同じようにできる人はいるのだと思います。
おそらくはそれが多数派なのでしょう。
しかし、私の場合はそうではありません。
冒頭でも書いたように、「具体的にどうすれば、みんなと同じようになるのか」がわからないのです。
「みんなと同じ」といった抽象的な話をされても困ってしまうのです。
「みんな」とは具体的に誰々のことなのか、まずはそこから定義しなければなりません。
「同じ」といっても、違う人であればまったく同じになるわけがないので、具体的にどの部分を指して、具体的にどのような条件を満たせば「同じ」になるのかを定義してもらわなければ要件を満たすことができそうにありません。
確かに、意図的に周囲とは違うことをすることはあります。
それは、多かれ少なかれ誰にでもあることではないでしょうか?
ただ、いつもいつもそんなことをやっていると疲れるので、普段は目立たないように普通にしていたいのです。
私が「普通」にしていると、「みんなと同じ」ではないといって非難されるので困ってしまいます。
今回なぜこのようなことを書くことにしたのかというと、クローバーフィールドのメンバーには、私と同じように「みんなと同じにできない」人が多いのではないかと考えたからです。
はっきりいって周囲から見れば変わった人たちが多いと思います。
「類は友を呼ぶ」のか、だんだんその傾向が増している気さえします。
このように話すと、ほとんどの人は「普通」で、ごく一部の人だけが変わっているのではないかと考えるかもしれません。
しかし、弊社は人数が少ないので、仮に1人しかいなくても、全体の1割程度にはなるのです。
もちろん実際には1割で済むはずもなく、ずっと高い割合で存在しています。
目立った長所がある人ほど変わっているので、実際以上に目立つということもあるのでしょう。
発達障害の診断を受けた人や、診断はされていなくてもその疑いが強い人も結構いるようなので、それも原因のひとつなのでしょうね。
「変わっている」とされる人たちは、企業によっては非常に居心地が悪いのではないかと思います。
その点、弊社は「変わっている」人のほうがむしろ多数派なので、そういう人たちにとってはずいぶん居心地がよいのでしょう。
「みんなと同じ」ようにできない人たちであっても、具体的に何のことかを明示し、定義し、指示すれば期待通りに振る舞わせることは可能です。
それでも一発でうまくいくことは稀ですが、話が明確であれば納得も得られますし、是正するのも比較的容易なはずです。
そんなこともあって、社内規定の多くは私が(自分でもわかるように)メンテナンスしています。
もし、「みんなと同じ」といった抽象的要件を満たす人がよいのであれば、その辺にゴロゴロいるのではないですか。
どうぞ、そういう人たちをあたってください。
残念ながら、弊社のメンバーでは要望に応えられそうにありませんから。