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器って何?

著者:高木信尚
公開日:2018/06/08
最終更新日:2018/06/07
カテゴリー:雑記
タグ:

JavaScript初心者の高木です。おはようございます。

「器」というと馬詰が同芸教室で作ってきた陶器の食器かと思われた方、残念でした。
今回は陶芸の話ではありません。
仮にそうなら、私ではなく馬詰が投稿しますね。

じゃあ「器」って何かというと、JavaScriptの変数か何かの比喩でもありません。
今回の話は人間の「器」についてです。
なぜ今回こんな(ある意味)説教くさい話題を取り上げたかというと、昨日馬詰と話していてこの話題で大いに盛り上がったからです。

世の中には私の想像を凌駕する人が実在しています。
その人たちは、わずかばかりのお金をやたらとケチります。

日々の何円、何十円を節約するために、多大な労力を払います。
月々の千円かそこらをケチるために、不便をいといません。

多くの場合、そうした行動によって自分も損をしていますし、周囲にも損失を与えているのですが、本人はお構いなしです。
お構いなしというより、具体的な損失が発生していることにおそらく気づいていないのです。

日々の損失に加えて、ときどき大きな損失を被ります。
それには機会損失も含みます。
また、経済的なことだけでなく、周囲の信用を失ったり、進学や就職に失敗したり、結婚に失敗したりと重大な損失を被っているのです。
場合によっては、それらに経済的損失も加わることさえあります。

そんな人たちを側で見ていて思うのは、「『器』が小さいなあ」ということです。

「器」が小さいと感じるのは、何もケチくさいこと、セコいことだけではありません。
そういう人たちは狭量ですので、「他人に厳しく自分に甘く」がモットーのようです。
他人からもらうことばかり考えていて、他人のために何かをしようとか、施そうとかいう発想がありません。

他人が精魂込めて作ったコンテンツは「タダで使わせろ!」と主張するくせに、自分は有益なコンテンツを何ひとつ(タダで)提供しません。
まさに乞食的発想であり、貧乏人そのものの姿であり、餓鬼と呼ぶのが相応しいでしょう。

お金があるから貧乏人ではない、餓鬼ではないと思う人がいるかもしれませんね。
しかし、餓鬼にも多財餓鬼というのがいて、どんなに贅沢ができても決して満たされることがないのです。
結構な収入があるはずなのに、普段はなぜかケチくさく、自分が得た収入は我欲のためのみに使おうとする人たちがいるのです。

そういう「器」が小さい人たちは、どんなに収入があってもお金が身につきません。
本当にくだらないことで多額の出費を強いられるなどして、わけがわからないうちに財産を失っていきます。

ひとことでいえば、決してそんな風にだけはなりたくない人たちです。
そして、極力関わりあいになりたくありません。
自分の子供たちには、そんな人とは決して結婚するなと反対することでしょう。

なかなかデリケートな話題なので具体的なことが書けませんでしたが、心当たりがある人は早めに軌道修正することをお勧めします。

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