「普通」ってどれぐらいできるの?
高木です。おはようございます。
日々いろんな人と接していると、自分とは違う考え、自分とは違う表現に触れることが多く退屈しません。
昨日「C#.netって何?」で書いたような奇妙奇天烈な表現なんかもそうです。
とくに、営業と技術者というのは専門分野が異なりますから、技術に関する話をすると、その粒度というか具体性について温度差がかなりあります。
今回は、私がある方から聞いた、営業と技術の間の温度差についての話をしたいと思います。
ある方がプログラマーに対して「〇〇言語はどれぐらいできるんですか?」と尋ねたそうです。
「〇〇言語」というのはプログラミング言語のひとつで、ここでは具体的な言語名はあえて伏せることにします。
それに対して、プログラマーは「普通です」と答えたといいます。
抽象的な質問に対しては抽象的な回答しか返ってこない典型的な例のように思えます。
具体的に「どれぐらいできるか」を推し量ろうとするなら、このような質問のしかたは間違っています。
まず、「どれぐらいできるか」といっても、どういう観点から評価するかによって話が変わってきます。
言語仕様をどれぐらい詳しく知っているのかという観点もあれば、その言語を使ってどれぐらい実装ができるのかという観点もあります。
あるいは、どれぐらい多様なプラットフォームに対応できるのかという観点もあるでしょう。
それらの観点について、初級者なら答えられるレベルの質問、中級者なら答えられる質問、上級者でなければ答えられない質問をいくつかしてみて、それらに対する回答から実力を推し量る必要があると思います。
しかし、そんな質問ができるのは、相当詳しい人でなければ無理です。
プログラマーではない営業にそんなことを期待するのは無理というものです。
そうなると営業は一体何を知りたいのかが問題になります。
個人差はあるでしょうが、典型的には「どれぐらい金になるのか」を知りたいのではないかと思います。
しかし、技術力を即金額に結び付けるのは悪癖でしかありません。
まともなプログラマーなら、そのような営業は嫌うでしょうね。
それに、「どれぐらい金になるのか」といっても、それは営業の能力にもかかっているので何ともいえないのです。
本来であれば時間単価に換算して数万円ぐらいの実力があるプログラマーがいたとして、それに見合うだけの仕事を取って来られるだけの能力がその営業にはあるのかが今度は問われてくるはずです。
仕事でやっている以上、売り上げにつなげなければならないわけですが、それは技術力だけでも営業力だけでも満足な結果は得られないのです。
ところで、「〇〇言語はどれぐらいできるんですか?」という質問に対して「普通です」と答えるのは、私は実は抽象的な回答だとは思っていません。
たとえば日本人に対して「日本語はどれぐらいできるんですか?」と尋ねれば「普通です」とか、それに似た回答になることは多いのではないでしょうか?
美しい文学表現もできなければ、古文書をスラスラ読むこともできないけれど、普通の日本人であれば日本語で会話も読み書きも支障なくできます。
それは「普通です」のレベルそのものではないでしょうか?
プログラミング言語もそれと同じだと思います。
会話というのはありませんが、読み書きが支障なくできれば「普通です」になると思います。
辞書や参考書と格闘しなければ基本的な構文もわからないようであれば、それは「普通です」ではなく「片言です」のレベルです。
「普通です」というのは流暢に扱えるレベルを意味しているのです。