選択するというのは他の可能性を捨てること
高木です。おはようございます。
今日はちょっと遅めの投稿です。
昨夜は採用面接やら何やらで帰宅が遅かったこともあって、ついつい出遅れてしまいました。
私の友人・知人の中には50歳を過ぎて(あるいはもっと高齢で)結婚した人が何人もいます。
その人たちに共通していることがあります。
それは「再婚」だということです。
傾向として、一度結婚できた人はその後何度でも再婚できますが、未婚の人はとことん結婚できないようです。
本人が独身を望むならともかく、結婚願望は強いのに40歳になっても50歳になっても結婚できないのです。
50歳で一度の結婚してない人の割合を「生涯未婚率」と呼ぶらしいですが、未婚者が50歳を過ぎて結婚できる可能性はゼロではないですが、統計上は意味をなさない程度ということなのでしょう。
この件に関して、馬詰は「一線を越えられるかどうか」だといいます。
一線を一度越えたことがあれば、あとは何度でも越えられるということです。
では、その一線とは何でしょうか?
いろいろ考えられますが、私が思うに、一人の相手を選択できるかどうかだと思うのです。
結婚の場合、一人の相手を選択すれば他の可能性を捨てることになります。
勇気がいることですし、状況によっては非常に高いハードルとなることでしょう。
これは結婚に限った話ではありません。
就職や転職の場合も同じことがいえます。
私が学生のころはバブルの絶頂期でしたので、いくつも会社から内定あるいは内々定をもらう同級生も結構いたものです。
希望したところには、ほぼどこにでも就職できるような状況でしたので、優柔不断な人にとってはこれがかえって負担になります。
一社に決める勇気がないのです。
結果、後手後手に回り、不本意な結果になることが多々あります。
躊躇し選択しないのは、多くの場合、最悪の選択をするのと同じなのです。
現在はバブルのころほどではありませんが、結構な人材難、すなわち売り手市場になっています。
そうなると、先ほどのような話が出てくるわけです。
就職や転職だけでなく、SESの仕事を決めるときも似たような図式ですね。
何らかの選択、そしてそのための決断をしないといけないことは世の中にはたくさんあります。
開発の仕事をしていても、トレードオフになるような仕様や設計はどれかを選択しないといけません。
経営判断においても、常に選択や決断の連続です。
必要な勇気を持って選択できず、タイミングを逸して、結果的に最悪の選択をすることだけは避けたいものです。