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軍勝五分をもって上となす。

株式会社クローバーフィールドの経営理念
著者:高木信尚
公開日:2017/02/01
最終更新日:2017/02/01
カテゴリー:雑記
タグ:

高木です、こんばんは。

今回は変な時間に投稿することになってしまいました。
現在、時計は午前3時前です。

本来であれば日付が変わる前に投稿すべきだったのですが、まあいいでしょう。
そういえば、今日から2月ですね。

今回の話題は、「およそ軍勝五分をもって上となし、七分をもって中となし、十分をもって下と為す」という武田信玄の言葉です。
文語体ですが、そんなに難しい表現ではありませんので、読めば何となく意味はつかめますね。

武田信玄はがまだ武田晴信を名乗っていた若いころ、実父である信虎を駿河に追放し、諏訪を攻め滅ぼして以降、破竹の勢いで勢力を伸ばしました。
ところが勝利が続いた結果、驕りを招いたのでしょうか。
上田原で村上義清と戦った際、重臣の板垣信方、甘利虎泰はじめ多くの将兵を失う大敗を喫してしまいます。

この戦も最初は武田側が優勢でした。
しかし、引き際を見誤ったために惨敗を喫したのです。

「およそ軍勝五分をもって上となし、七分をもって中となし、十分をもって下と為す」というのは、こうした若気の至りによる失敗体験を踏まえての言葉なのだと思います。

もっとも、これは局地戦についての教訓だと思います。
決して中途半端なところで妥協するという意味ではないのです。

前述の村上義清は、局地戦では武田勢相手に善戦しますが、結局は抗しきれずに葛尾城を自落させて長尾景虎のもとに身を寄せることになります。
武田氏と長期間同盟関係にあった今川氏も、何度かの出兵を経て、結局は信玄に滅ぼされてしまいます。

戦国大名のうち、孫子をもっとも実践したのは武田信玄と徳川家康だったといわれています。
今回紹介した言葉も、孫子を重んじた信玄らしい言葉だと思います。

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