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6センスと八識

株式会社クローバーフィールドの経営理念
著者:高木信尚
公開日:2015/12/01
最終更新日:2017/12/27
カテゴリー:雑記

こんにちは、高木です。

昨日の川上のブログを見て、「6センスって何?」と最初思ったのですが、よく考えてみると第六感のことだったんですね。
面白いことをいうもんだなあと勝手に感心していました。
そこで、今日はその話題にちょっと絡んでみたいと思います。

私の場合は、霊感とか第六感とかのオカルト的なものはほとんど相手にしていません。
ついでにいえば、UFOだとか超常現象のたぐいにも興味がありません。

ですので、第六感よりは大乗仏教でいうところの六識ないしは八識の方に興味を持ってしまいます。

六識というのは、人間の感覚器官である眼・耳・鼻・舌・身・意による認識能力のことで、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の6つを指しています。
この六識は、それぞれ色・声・香・味・触・法を認識することになります。
般若心経にも「無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法」という箇所がありますね。

最初の5つについては説明は不要でしょう。
最後の「意識」というのは「法」をん認識するわけですが、この「法」とは何でしょうか?
「法」というのは、形あるものも無いものの、今目の前にあるものだけではなく、過去から未来への一切合切のことです。

さらに仏教では、この六識をさらに発展させた八識という考え方があります。
八識の最初の6つは六識に相当します。
7番目は「末那識(まなしき)」、8番目は「阿頼耶識(あらやしき)」といいます。

「末那識」は、思い量るということです。
何を思い量るかというと、自分の得になることとか、自分を大切にすることです。
なので、末那識はいわゆる煩悩の根源となります。

「阿頼耶識」は、過去に経験したすべてのことを貯蔵するものです。
過去に経験したすべてのことというのは、自分が生まれてから体験したものだけではなく、地球上に生命が誕生したときから今日に至るまでの一切の記録を含みます。
当然、その中には先祖が歩んできた人生も含まれることでしょう。

八識は仏教用語なので、仏教といえば宗教、宗教といえばオカルトと短絡的に考えてしまう方も少なくないと思います。
けれども、実際にはそんなことはなく、私たちに大切な智慧をもたらしてくれるものなのです。

感覚を研ぎ澄まし、喜んで足を前に出せば、目に見えないもの、耳に聞けないものを認識できるようになってきます。
まさに「法」を認識できるのだと思います。
詳しくは書きませんが「喜んで足を前に出す」ことができるかどうかは、末那識、阿頼耶識と深く関わっていると私は考えています。
そして、「法」を認識することを「ヒラメキ」というのであれば、そうなのかもしれません。

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